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055 吉阪隆正の不連続統一体 


◎ついに象設計集団編著『空間に恋して』を上梓できた。もともと出版を打診されたのは2000年のことで、象も工作舎もともに翌2001年には30周年を迎えるので、一緒に記念出版をして盛り上げましょうという話だった。企画の概要はできており、造本も恩師・吉阪隆正先生の『DISCONT:不連続統一体』(丸善)に判型を揃え、厚さは師を超えないようにするとの方針も明確だったので、スケジュールは厳しそうだが、さほどずれずに刊行できるのではないかと見込んでいた。
◎早稲田大学の建築科で学生時代を過ごしたとはいえ、その後柱1本立てたこともないとあって、田中純子さん(『タオ自然学』『ホロン革命』の訳者・田中三彦氏夫人)ほか同期の少数の友人との交流以外はほとんど途絶えたまま、30年余を過ごしてきた。この間1度だけ、OM研究所に在籍していた田中純子さんの誘いで、十勝の象設計集団を訪ねて樋口裕康さんにインタビューしていたものの、象の歩みを逐一追っていたわけでもないので、本づくりがどのようなプロセスになるのか、まったく予測できなかった。
◎ダミーを作っては壊し、作っては壊す……そのエネルギーたるや恐るべきもので、編集の松井晴子さん、デザインの春井裕さん、写真の山田脩二さん、北田英治さんといった外部からの参入者も負けず劣らず、粘ること粘ること。
◎30周年を迎え、当方は『脳図鑑21』『オデッセイ1971-2001』を刊行できたというのに、先方はいっこうにその気配すらない。これはもう、35周年ないしは40周年を待つほかないと思っていたところ、2004年春、突然、「年末の吉阪展に間に合わせる!」といっせいに走り出した。そのさまは、まさしく宇佐見圭司さんが喩えたように、突然一気に何百キロメートルも水場に向けて走りだすヌーの集団さながらである。
◎そしてついに2004年12月3日の吉阪隆正展「頭と手」のオープニングに『空間に恋して』の見本を滑り込ませることができた。同展には早稲田大学、神戸大学、山口大学の学生たちが作成した八王子大学セミナーハウスの1/50の全体模型と本館の1/20の断面模型が展示されていて圧巻だったが、ひときわ目立つ断面模型を担当していたのが象設計集団の創設時のメンバーのひとりであり、いまや建築学会の副会長となった、同期の重村力さん率いる神戸大学のチームだった。
◎2004年は吉阪先生の25回忌にあたり、ご存命であれば88歳(米寿)の年とあって、直接・間接を問わず影響を受けた人たちが、シンポジウム・夜話に参加して、それぞれの吉阪像を語り合った。
◎同展のウェブ上のコラムに記された富田玲子さんの回想は、ひときわ印象的なので再録させていただく。彼女は丹下健三のもとから、吉阪(U)研に移り、樋口さんや故・大竹康市さんとともに象設計集団を創設した方である。“ 吉阪先生がハーバード大学に客員教授として招かれ帰国された時のこと(1978)「ボストンに近年出来た超高層ビル・ジョン ハンコック タワー(62階建)の最上階までエレベーターで行き、足で歩いて下りて来たが、現役アルピニストの膝が途中で参ってしまった。普通の人にはもっと大変だから超高層なんて建ててはいけない」と話されました。”
◎吉阪隆正:1917年、動物学者・箕作佳吉の孫として東京に生まれ、幼年時代は父がILO(国際労働機関)に日本政府代表として派遣されてスイスのジュネーブで過ごす。早稲田大学を卒業後、助教授となり、パリに留学。「巴里の空の下 セーヌは流れる」のエキストラ役で自転車で走り抜ける姿を一瞬名画に留めたのち、日本人3人目としてル・コルビュジェのアトリエに勤務。1954年吉阪研究室(1964年 U研究室に改設)を創設し、ヴェニス・ビエンナーレ日本館(1956)、日仏会館(1958)、アテネ・フランセ(1960)、大学セミナーハウス(1963)などの作品を残す。1980年病気に倒れ他界。
日本建築学会会長、生活学会会長、日本山岳会理事などを歴任。赤道アフリカ横断とキリマンジャロ登頂を果たし、早大アラスカ・マッキンレー遠征隊長をつとめ、ヒマラヤK2遠征を組織するフィールドワーカーにして探検家でもあった。
「不連続統一体」(Discontinuous Continuity)略してDISCONTを建築計画にも組織運営にも主張・実践し、小さな個性豊かなグループがゆるやかな連携のもと、総体として時代を変革するようなパワーを発揮することを心から望んでいた。(十川治江)