米澤 敬

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030 桜井コレクション


◎数年前、地球環境保護を掲げる某財団を訪問したことがある。エントランスに置かれたアメジストの巨大ジオードを見て、違和感を覚えた。自然に棲息する動植物なら、それを採集して、オフィスのエントランスに飾るなどということは、成り金屋敷の虎の皮の敷物ではあるまいに、少なくとも「環境」を標榜する人びとは、発想さえしないと思う。動植物はだめ、鉱物ならよし、とする判断は、はからずもその環境保護の精神が人間中心であることを露呈している。
◎何も、昆虫や植物の採集、鉱物の採集を否定するつもりはない。ないばかりか、これまでに自分でも行ってきたし、仕事にせよ、趣味にせよ、そんな博物学的営為に対しては、羨望し、たいていの場合、賛辞も惜しまない。どこが違うのかと問われても、答えにくいのだが、少なくとも権威やステータスのシンボルとして、それを「購入」しディスプレイするのは、醜いと感じる。個人的には、鉱物標本を買ったこともあるが、そんなやり方でコレクションを増やす気にはなれなかった。最近、頻繁に開催されるようになった鉱石ショーの類いにも足を運ぼうとは思わない。要するに値札がついた鉱物には、あまり興味がないのかもしれない。
◎先週は、毎年の恒例となった堀場製作所カレンダー制作のための撮影を行なった。毎回テーマを決めて、365日のカレンダーの「タマ」一つひとつに画像を配するという企画である。これまで、鳥、魚、貝、ハーブなどの図版を、荒俣宏さん所有の博物図鑑から選んで使用した。実物の写真による構成は鳥の羽根以来、2度目である。羽根のときは、山階鳥類研究所に協力していただいた。そして、今回のテーマは鉱物である。
◎撮影する鉱物標本は、現在、科学博物館の所蔵になる桜井コレクションに限定した。世界3大コレクションの1つとも言われる、体系的に採集分類された鉱物標本群である。別のところでも書いたことがあるが、桜井欽一さんは神田須田町の鳥鍋の老舗「ぼたん」のご主人でもあり、貝のコレクションでも知られ、探偵小説にも造詣が深い。数年前に亡くなられたが、生前の桜井さんとは2度お会いすることができた。1度は「遊塾」の編集トレーニングのためのインタビュー、もう1度は来日するレオ・レオーニさんとの対談の打診のためだった。惜しくもレオーニさんとの出会いは実現できなかったが、鉱物についての話をたっぷりと堪能させていただいた。ただし、鉱物のコレクションは自宅とは別の場所にあったため、拝見することは叶わなかった。
◎科学博物館の標本は、桜井さんの逝去後に寄贈されたものである。撮影を前に、まる一日をかけて、科博のすべての標本をチェックさせていただいた。数万におよぶコレクションから撮影のための約400点を選び込むためである。標本室は空調がない。猛暑のなか一棚一棚、引き出して撮影に使用する標本番号をひかえていく作業は、苦行だったが、念願の桜井コレクションと邂逅できた至福の時間でもあった。撮影はまる3日をかけ、佐々木光さんが撮りきったが、結局、当初の予定を大幅に上回る500以上の鉱物をフィルムに収めることとなった。
◎桜井さんは、派手で大きなもの、つまり鉱石ショーで高い値段がつくような標本を嫌ったという。コレクションは、あくまでも学問的に意味のある収集を意図したものである。同じ方解石も、産地・産状によって、あるときは微妙に、あるときままったく様相を異にする表情をもつ。それらを丁寧に分類収集したところに、桜井コレクションの真骨頂があるのだ。
◎だから桜井コレクションの視覚的な特徴を一言であらわすなら、地味である。ロンドンやパリの自然史博物館に陳列されている豪壮華麗なゴシック建築のような鉱物に比べるなら、市中の山居といった佇まいだ。正直、当初はカレンダーに使うには色も形も渋すぎるのではないかと不安になったほどである。ところが、一つひとつの標本を手にとって眺めているうちに、巨大な結晶標本では感じにくい、繊細な色彩と形が見えてきた。さらにレンズを通しフィルムに定着してみると、息を呑むほど美しいのだ。まさに「神は細部に宿りたまう」のである。