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105 告白
◎ みんな自分と同じようにやっていると思い込んでいることで、実は自分だけの特別な習慣や方法というものがある。とくに他者と比較することがしにくい場所で行われる行為には、その可能性がある。もってまわった言い方をしたが、つまり風呂場と便所でのこと。風呂場の方は、銭湯や温泉など必ずしも個人的ではない場所も多いので、微妙な違いや順序・手続きの差はあるものの、基本的に大差はないと思う。
◎ 便所の習慣についても、幼児期には保護者がリードするのが普通なので、こちらも特段個人的な違いはないはずであり、あるとしても家族相伝のやり方になると思われる。お尻の拭き方など、多くの場合は母から子へと伝えられていくのだろう。密室での行為とはいえ、最初は密室ではなかったのだから、やはりそう大きな違いはない。と、長い間思い込んでいた。
◎ 子どもの頃、学校でウンコをするのは大きなタブーだった。級友にばれたら、相当きついことになる。だから家の外でウンコするということは、高校時代までほとんどなかった。だから、かなりのところまで我慢する。実は、外聞をはばかるということのほかに、外での排便を避けていたのには、もうひとつの理由があった。
◎ ウンコのときには、てっきりスボンもパンツも脱ぐものだと思っていたのである。通常、大便所のドアには鞄やコートをかけるためのフックがあるが、これは脱いだズボンとパンツをかけるものだと信じていた。外で便所に入るときはたいてい靴をはいている。だから、ズボンとパンツを脱ぐためには、アクロバティックな動作をしなくてはならない。靴下で直接便所の床を踏むわけにはいかないのだ。要するに、外でウンコをするのはとっても面倒なことだったのである。
◎ そんな厄介なことを大学時代まで続けていた。そこまでしなくてもいいのだ、ということに気がついたのは、洋式便器との出会いによる。大学でも下宿先でも洋式だった。洋式では、途中までおろせば充分であることは、もちろんすぐにわかった。ちょっと待てよ、といい年をしてやっと気づいた。和式だとはいえ、このやり方を応用すれば、いちいち面倒なことをしなくてもいいのである。当人にとっては大発見だ。気づいたときには、便器に腰掛けたまま、それまでの20年近い人生を思い返し、感慨にふけったものだ。身にならない悪戦苦闘を、ずいぶん重ねてきたものである。
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