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8月の新刊 四方田犬彦著『親鸞への接近』


『親鸞への接近』

8月の新刊は、評論家の四方田犬彦さんによる500頁超えの渾身の書下し『親鸞への接近』。

親鸞論が絶筆となった三木清、
伝記映画を監督制作した三國連太郎、
親鸞の晩年について集中的に論じた吉本隆明…。
日本の知識人は、なぜ生涯のある時点で親鸞と出逢うのか。
『歎異抄』『教行信証』を独自の視点で読み解くとともに、
三木清、三國連太郎、吉本隆明を通して、
親鸞思想の現代的意味を問う。

四方田犬彦さんは今では映画評論家・文芸評論家として知られますが、大学では宗教学専攻。改めて親鸞に向き合うことになった経緯を「親鸞が接近してきた」と表現し、タイトルとなりました。

「世俗のしがらみを拒絶し、学問に打ち込んだ道元。自力の修行を拒み、非僧非俗で平然と妻帯をした親鸞。学生時代に著者は道元には惹かれたが、親鸞を前にためらいを感じた。親鸞はこうして封印された──。ところが後年、戦地と占領地で、人間の巨大な悪を前にしたとき、著者の前に再び親鸞が立ち現われてきた。自分の意志で手にとったのではなく、親鸞が接近してきたのだ──。」

発売は8月下旬予定。四六判上製、528頁、本体3000円+税。どうぞお楽しみに。



■目次

親鸞への接近
親鸞とわたし
『歎異抄』について
『教行信証』論
   1 ひそかにおもんみれば
   2 海の隠喩、光
   3 ガンジスの砂の数ほどの引用
   4 際限のない羅列
   5 水平移動
   6 誓願
   7 アジャセ
   8 テクストの過剰
『歎異抄』のスタイル
   1 来歴
   2 編纂された対話
   3 封印
   4 さまざまな聞き書き
   5 口伝と註釈
   6 悪人正機
   7 対話の構造
   8 業縁とモンタージュ
   9 正統と異端
   10 辺地の悲嘆

和讃と今様
仏教用語翻訳の難しさ
礼如さんの思い出
赦すということ

三木清 終末の近傍で
   1 プロローグ
   2 三木清と親鸞
   3 戦時下の位置
   4 懺悔と機
   5 末法とは何か
   6 無戒
   7 自督

三國連太郎 差別への眼差し
   1 オルレアン
   2 俳優としての三國連太郎
   3 小説『白い道』
   4 差別への眼差し 三國は親鸞に何を学んだか
   5 『親鸞 白い道』
   6 フィルムの分析
   7 『朽ちた手押し車』

吉本隆明と〈解体〉の意志
   1 資質の問題
   2 晩年
   3 愚の体現
   4 無場所としての浄土
   5 実体なき衆生
   6 「はからい」とは何か
   7 二人の戦中派

あとがき



■四方田犬彦 (よもた・いぬひこ)

1953年、大阪生まれ。映画と比較文学の研究者、詩人、批評家、エッセイスト。東京大学文学部宗教学科を卒業。同人文系大学院比較文学比較文化科博士課程を中退。長らく明治学院大学教授として映画史の教鞭を執る。主な著書に『貴種と転生・中上健次』(新潮社、1996)、『摩滅の賦』(筑摩書房、2003)、『ハイスクール1968』(新潮社、2004)、『先生とわたし』(同、2007)、『歳月の鉛』(工作舎、2009)、『書物の灰燼に抗して』(同、2011)、『署名はカリガリ』(新潮社、2016)、詩集に『人生の乞食』(書肆山田、2007)、『わが煉獄』(港の人、2014)、翻訳に『パゾリーニ詩集』(みすず書房、2011)がある。

2018年は1月『大野慶人の肖像』(かんた)、『1968[1]文化』(筑摩選書)、2月チラナン・ピットプリーチャー詩集『消えてしまった葉』(港の人)3月『1968[2]文学』、5月『1968[3]漫画』、7月『神聖なる怪物』(七月堂)と立て続けに著訳編書を刊行。本書が150冊目の著書になる。






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