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ライプニッツ通信II

第5回 比類なき触発者、エリザベトとゾフィー姉妹

哲学史に名を残した女性としてひときわ輝きを放つのは、デカルトと往復書簡を交わし、『哲学原理』を捧げられ、『情念論』を書かせることにもなった、プファルツ選帝侯女エリザベトです。

フランセス・イエイツが『薔薇十字の覚醒』で鮮やかに描いたように、イングランド王ジェームズ一世の娘エリザベスを妻に迎えたプファルツ選帝侯フリードリヒ五世のハイデルベルク城は、エリザベスの兄ヘンリー皇太子に仕えていたフランス人造園家サロモン・ド・コオによる蒸気噴水や洞窟(グロッタ)をそなえた庭園をもつ、ドイツ領邦国家のなかでも華やかな宮廷でした。

選帝侯家の長女エリザベトは、このハイデルベルクで生まれますが、父フリードリヒがボヘミア王となったためプラハに移り、三〇年戦争に巻き込まれて敗戦。ついには選帝侯の座も奪われて、一家はオランダのハーグに亡命します。

幼くして流浪の身となった侯女としては悲運というほかありませんが、旧弊にとらわれない自由の地オランダで母や家庭教師の教育を受けて思考力をきたえることができたのは、エリザベトにとって、またハーグで生まれた彼女の末妹ゾフィーにとっても、幸せなことでした。

デカルトの『省察』をラテン語で読んだエリザベトは、オランダに住んでいたデカルトとの会見を望んで果たし、25歳のとき(1643)からデカルトの死の前年(1649)まで往復書簡を交わすようになります。デカルトがスウェーデン女王クリスティナの招請を受けたのは、長女としてファルツ家再興を願っていたエリザベトのためであったという説も、否定しがたいところがあります。

往復書簡がはじまったとき、ライプニッツはまだ生まれておらず、デカルトがスウェーデンで亡くなったときは4歳だったので、デカルトと往復書簡を交わしたエリザベトとは直接交渉はなかったものと思い込んでいました。

ところが、『哲学書簡』に収録したマルブランシュ宛書簡(5-4)冒頭に、「ご高著『キリスト教的対話』をエリザベト侯女のご厚意で拝見しました」とあり、目から鱗がおちた心地でした。

ライプニッツの多彩な活動を編年で克明に追ったエイトン『ライプニッツの普遍計画』で確認すると、たしかに1678年冬、エリザベトはハノーファーを訪問してライプニッツにデカルト派のマルブランシュが匿名出版した『キリスト教的対話』を紹介していたのです。ハノーファーは、パリにいたライプニッツを宮廷顧問間兼図書館司書として招請したヨハン・フリードリッヒ公のヘレンハウゼン宮殿が築かれた地。このとき、エリザベトはヘルフォルト修道院長となっていましたが、知的好奇心は相変わらずで、パリの最先端の思想状況を把握してライプニッツを触発していたのです。もちろんライプニッツは『キリスト教的対話』の抜き書きに批評を添えてエリザベトに送り、マルブランシュにも手紙をしたためてパリ時代以来とだえていた交信を再開したのでした。

当時ゾフィーはすでにヨハン・フリードリヒの弟エルンスト・アウグストと結婚していたので、エリザベトがハノーファーを訪れたのは、おそらく妹に会うためだったのでしょう。姉妹の会見の場にライプニッツが同席した可能性もおおいにあります。

ただしエイトンが明記したライプニッツとゾフィーの会見の初出は、1679年末、ライプニッツが病に臥していたエリザベトをヘルフォルトに見舞ったおりです。エリザベトは、弟フィリップがおこした殺人事件の心労で病んだおり(1646:ライプニッツの生年!)、デカルトの見舞をうけていますので、これも数奇な星のめぐりあわせというほかありません。1679年末にヨハン・フリードリヒが急逝し、エルンスト・アウグストがハノーファー公を継いだので、ゾフィーはハノーファー公妃となって歴史の表舞台に登場するようになりました。

カトリックに改宗したヨハン・フリードリヒは、宗教的にも寛容な精神の持主で、ルター派のライプニッツの才能を認め、当初は宮殿内にあった図書館に居住させて諸計画を推進させるに任せた名君でした。

兄を継いだエルンスト・アウグストは、ライプニッツによる家史編纂の効果もあって1692年には選帝侯となり、公家は栄えてゆきますが、この新たな主君は兄ほどライプニッツを買ってはいませんでした。それでも知的好奇心あふれる公妃ゾフィーに出会えたのは幸運なことで、彼女は終生変わらぬライプニッツの心強い庇護者にして理解者になりました。

『哲学書簡』第2部「サロン文化圏」に収録した1696年のゾフィー宛の書簡では、やがて『モナドロジー』(1714)で展開される宇宙観が、「モナド」という語なしで、イメージ豊かに語られています。

ゾフィーは姉のエリザベトに劣らず、万学の天才を触発してやまぬ類い稀な女性でした。ライプニッツとの機知にとんだ議論のようすは、大西光弘氏によるコラムでも紹介されていますので、ぜひご一読ください (十川治江)。






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