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童の心で

『童の心で―歌舞伎と脳科学』
書評続々!

3月の新刊『童の心で―歌舞伎と脳科学』が、御立尚資(みたち・たかし)氏の「日経ビジネスオンライン」書評に続き、4/19新文化「ウチのイチ押し!」、4/22日経新聞、北日本新聞での演劇評論家・桂真菜氏による書評などメディアでの紹介が続き、売れ行き好調です。特に5/6の朝日新聞書評は短評ながら大反響!書評はこちら

本書は、歌舞伎役者の市川團十郎さんと、脳科学者の小泉英明さんによる異色対談。 北日本新聞の桂真菜氏の書評には 「…舞台上の伸縮する時間、「間」という空白の時間、見得による無限の時間…これらの想念に触れるたび、歌舞伎の深淵に引き込まれていく。」と美しく表現してくださいました。この気になる「間」を扱った第5章から本文を引用します。

團十郎――人間にとっての時間とは物理的な「t」という時間の流れではなく、脳がつくる時間の流れ、それを私は「間」と呼びます。六代目尾上菊五郎は、「間は(悪魔の)魔に通じる」と表現しましたが、歌舞伎にかぎらず、すべての音楽、演劇などはこの「間」の同調やズレによって人間の内面を表現できたりします。この人間の頭の中で流れる時間のズレによって感じるものを科学的にうまく表現できないでしょうか。

小泉――…哲学者も二種類の時間を考えているようです。ひとつはニュートン力学のような絶対的な時間で、もうひとつはベルグソンなどが考えていたような、何回手続きするかという時間です。…脳の中の主観的な時間というのは、ベルクソン的な時間、つまり脳の中での処理が何回なされたかで生じる時間ではないかと推察できます。…たくさん処理がなされると時間が長いようにおもえるし、処理がかなり簡略化されていると時間が短いように感じる。…


團十郎さんも小泉さんも相手の専門をきちんと予習されたうえで臨まれた対談だけに、内容に入り込んだ応答が続きます。そして「間」が重要な「乱拍子」のくだりは圧巻。抜粋してご紹介します。

小泉――このところ「乱拍子」というものが気になっているのです。…乱拍子というのは、まさしく「間」という概念を前提にして成り立っているものでしょうが、あれはどういう由来なのか、そして演ずるときの感覚をうかがいたいです。

團十郎――もとは大地を踏みしめるという宗教的儀式に由来しているとおもいます。 …乱拍子は小鼓方の強い大きなかけ声を合図にはじまります。シテ方は蛇をあらわす鱗のかたち三角形に舞台をまわり、シテ方と小鼓方との呼吸をはかり対決をします。…乱拍子は楽譜ではあらわせないもの、祈念や怨念、さらには演者自身の情念の昂揚などが込められているのです。

小泉――…「間」を合わせる「間合い」こそ、非常に感性が研ぎ澄まされたひとつの現れのような気がいたします。…

團十郎――たしかに「よく合うな」とおもうくらいです。やはり息が大事で、吸う息・吐く息、仏教的にも「阿吽(あうん)」の息をお互いに感じて……「ハッ」「パン」と合う。何で伝わるのかはわかりませんけれども、両者ともすばらしい演者、あるいは演奏者だとぴたっと合う。…

小泉――…先ほどの乱拍子で、長い静寂の空間があっていきなりトントン動きだす場合、お互い「ねらう」という言葉をお使いになるとのことですが、じつはこのときの脳機能を実際に計る実験を日立基礎研究所でやりました。ふたりの脳を同時に観測するのですから前例のない世界で初めての試みです。…お互いに「ねらった」結果がうまく一致した場合には、ふたりの前頭前野の活動パターンが互いに類似しているのです。… もともと乱拍子は「闌拍子」と書いて、闌(たけ)たる拍子、つまり最高位の拍子ということのようですね。世阿弥が「去来」として示した最高の境地、「闌たる位」にも通じる境地のようです。







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