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『親鸞への接近』10/7読売新聞書評


『親鸞への接近』


2018年10月7日付 読売新聞にて、四方田犬彦著『親鸞への接近』を、政治学者・東京大学教授の苅部直氏が書評してくださいました。大きな反響があります!

絶対へのまなざし 苅部直氏評

「親鸞がきみに接近してきたのだ」。この本の冒頭近くにある言葉が、分厚い書物全体にわたって、底流として流れている。「きみ」は表題どおり「親鸞への接近」を試みつつある著者自身。しかし、親鸞の側が「きみ」を選んだと語り、世界で生じるすべての出来事が窮極において阿弥陀如来の「はからい」に由来すると説くのは、いったい誰の声なのか。…

10/7読売新聞『親鸞への接近』苅部直氏評


■図書新聞 稲賀繁美氏連載で『親鸞への接近』書評

10月6日付と10月13日付図書新聞・稲賀繁美氏の連載「思考の隅景」において2回にわけて『親鸞への接近』をとりあげてくださいました。

ひとはいつ・いかにして親鸞に呼ばれるのか
日本信仰思想史における宿命の周期律


…本書は懼るべき書物である。だが「おそるべき」などという形容は、その達成を裏切る。達成といったが、努力の末に知的な頂きを極めるというのではない。反対に、登頂の野望が孕む危うさを、登頂に勝る努力によって踏破している。だが「あとがき」で著者は「とりあえずここまでは考えてみた」が「その先は遥かに遠いだろう」との感慨に耽る。「大きな誤解」なきやを恐れ、己の「非力」を表明する著者だが、それは自己韜晦でも自惚れでもない。「他力本願」が成就されるとは何を意味するかを理詰めで追った結果だからである。…[全文は図書新聞サイトへ]





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