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●月島を歩く〜『月島物語ふたたび』の世界へ 02

新佃島の海水館

海水館という割烹旅館が佃大通と海岸がぶつかる角に建てられたのも、この時分(1905年)だった。隣接する月島が金属機械工業の工場用地として目覚しい発展をとげだし、全国から訪れた自由労働者が金屑と機械油に塗れて作業に勤しんでいたころ、ここ東町はもっぱら陸の東京に飽いた者たちが気長に療養をしたり、今でいうリゾート感覚のもとに時をすごしていた場所であったようである。越中島から相生橋を渡るか、でなければ対岸の船松町(現在の中央区湊三丁目)から佃まで渡船に乗らないかぎり到達できないこの島では、喧騒の陸地とは一種違った時間が流れていた。人々はここで潮干狩りをしたり水遊びに耽ったりもした。晴れた日に海岸にでると、越中島の商船学校のボート競走の掛声がすぐ間近に聞こえたし、遠くには房総半島が眺められた。東京湾の澄みきった海面を遮るものは何ひとつなかった。

『月島物語ふたたび』第六回大川の尽きるところ より)

02 海水館跡に建つ碑 02 海水館跡碑と路地
02 海水館跡碑の裏

明治の終わりから大正初期にかけて、島崎藤村をはじめ数々の文学者もまた「海水館」に滞在しました。現在跡地にはひっそりと家屋が建ち並び、その隅に建つこの碑だけが海水館の記憶を留めています。碑の表(写真)には「海水館」、裏には島崎藤村『春』の執筆由来が刻まれています。(編集部)
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