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インド科学の父 ボース[詳細]

目次著者紹介関連図書書評


インドの飛躍はここからはじまった。

時は19世紀末から20世紀初頭、所はイギリス統治下のインド。
さまざまな政治的・文化的抑圧をものともせず、
タゴールとともにベンガル・ルネッサンスをになった科学者がいた。
その人の名は、ジャガディス・チャンドラ・ボース
ニコラ・テスラと相前後して無線装置を発明し、
イギリスはじめ西欧科学界を驚嘆させるも、特許にはとんと無頓着。
自ら開発した精密な実験装置を駆使して、
電磁気から植物生理、さらには心や生命の謎を探究しつづけ、
インドの科学を一気に世界最先端レベルに導いた。
科学者の霊性と創造力はいかに育まれるのか、
波乱にとんだ生涯と独創的研究の全容。




■目次より

序文

第1章 子ども時代の教育

 東ベンガルの文化的伝統
 盗賊の冒険譚に胸躍らせる
 荒れ狂う「流れ」の魅惑

第2章 カルカッタ、イギリスでの大学生活

 ラフォン神父の実験手ほどき
 イギリス留学
 レーリー卿との出会い

第3章 苦闘のはじまり

 不当な差別
 学生たちを魅了する
 最初の科学的成功

第4章 最初の物理学研究・電波の謎に挑む

 科学という理想都市の建設
 マクスウェルの予言とヘルツの実験
 ポアンカレも評価したボースの受信機

第5章 ヨーロッパ科学界の称賛

 王立研究所で講演
 発明で個人的利益を追求しない
 旧来の偏見を払拭

第6章 物理学研究の発展

 分子ひずみ理論とその解釈
 電波と光の類似
 人工網膜の発明

第7章 生物と無生物の反応

 パリ国際物理学会で講演
 タゴールの祝福
 敏感な植物たちとの出会い

第8章 休暇と巡礼

 巡礼のもたらすもの
 ボース夫妻の聖地巡礼
 精神の共同体としてのインド

第9章 植物の反応

 植物の興奮状態を記録する
 植物生理学の本格的研究
 マイハギの自動運動とオジギソウの反応

第10章 植物の感受性

 高倍率の共振レコーダーの開発
 欧米での植物実験と講演の反響
 アルコールでも水でも酔っぱらう植物

第11章 成長の自動記録

 カタツムリより遅い植物の成長運動
 植物に体罰は有用か?
 磁気クレスコグラフの発明

第12章 植物のさまざまな運動

 植物たちの生きる知恵
 植物学用語の迷宮
 神経インパルスの二重性
 

第13章 あなどれない植物たち

 人間の舌先より敏感な植物
 平衡型クレスコグラフの発明
 無線に対する反応

第14章 屈性

 巻く、光に向かう、天をめざす
 芽と根はなぜ正反対をめざすのか
 植物はどこで重力を感知するのか

第15章 植物の睡眠

 スイレンの夜警
 祈るヤシの謎
 植物の睡眠と覚醒 

第16章 精神物理学

 物理、生理から心へ
 イメージの再現
 過保護は生命をスポイルする

第17章 人柄と交友

 つつましいけれど活動的な家族
 二人の女性
 タゴールとの友情

第18章 ボース研究所の開所式

 失敗と成功/生物と無生物/二つの理想
 進歩と知識の普及/生命の昂揚/展望
 インドの特別な能力と科学への貢献/植物の生活と動物の生活

第19章 研究所の発展

 マスメディアの反響
 インドの最先端科学の推進センター
 王立協会フェローとなる



■ジャガディス・C・ボース Jagadis Chandra Bose, 1858-1937

義侠心に富んだ父と優しい母のもと、農民や漁師、元盗賊などからさまざまな知恵を学んで育つ。カルカッタのプレジデンシー・カレッジ教授として後進の指導にあたるかたわら、電磁気学、植物生理学などの先端的研究を推進。1917年にはボース研究所を創設。1920年、インド人として3人目の王立協会フェローとなる。2008年12月、生誕150年を記念してケンブリッジ大学で「境界を超えて:物理学から植物科学へ」と題したシンポジウムが行われる。

*北海道大学 大学院情報科学研究科 井上純一先生が、インド・カルカッタ(コルカタ)のボース研究所を訪問された様子をwebで公開されています。ボース研究所訪問記


■著訳者紹介

パトリック・ゲデス Patrick Geddes
1854年スコットランドのアバディーンシャイア生まれ。王立鉱山学校でT・H・ハクスリーに生物学を学んだ後、エディンバラ大学で動物学を講ずる。1889年から1918年までダンディー大学植物学教授をつとめるかたわら、生態学的な手法による都市計画の研究も推進。1919年から25年までボンベイ大学社会学科および市政学科学科長に就任。アイルランド、フランス、インド、パレスチナ、イスラエルなど歴史的な都市を調査して保存・再生計画を提案。著書『Cities in Evolution』(1915  西村一朗訳『進化する都市』鹿島出版会 1982)で、都市調査の理論的基礎を築き、「田園都市」を提唱したエベネザー・ハワードとともに近代都市計画の祖とよばれる。また次世代への指導にも熱心だったことから、「環境教育の父」ともよばれている。1932年、フランス、モンペリエにて客死。

新戸雅章 (しんど・まさあき)
1948年藤沢生まれ。横浜市立大学卒。公務員を経て、編集プロダクション「スタジオ・アンビエント」を設立。SF評論誌 『SFの本』を創刊。その後、文筆活動にはいる。発明家ニコラ・テスラの研究をライフワークとする。主な著書に、『天才の発想力』(ソフトバンク・クリエイティヴ)、『テスラ——発明的創造力の謎』(工学社)、『逆立ちしたフランケンシュタイン』『発明超人ニコラ・テスラ』『バベッジのコンピュータ』(以上、筑摩書房)、『情報の天才たち』(光栄)、『発明皇帝の遺産』(祥伝社)などがある。




■関連図書(表示価格は税別)

  • 植物の神秘生活  P・トムプキンズ+C・バード 工作舎 3800円
  • テスラ   マーガレット・チェニー 工作舎 3600円  2009.8月復刊予定
  • 無限の天才  ロバート・カニーゲル 工作舎 5500円



  • ■書評

    化学史研究 2010年第1号 猪野修治氏書評
      →『サイエンス・ブックレヴュー』(閏月社/2011刊)

    ……西洋の科学界でかずかずの栄誉と賞賛を獲得したボースは母国インドにおける科学の普及と教育、ひいてはインド国家の発展のために「ボース研究所」を創設した。このためにボースは自らのほぼすべての財産を投入するのである。そこには、若い時代から「発明や発見で個人的利益を追求しない」と、ボースの信念と決意があったという。インド科学の発展のために私利私欲ではなく、無心に勢力的に貢献した。ボース研究所の開所式の講演で、ボースは、「今日、私は、この研究所をたんなる研究所ではなくて、寺院として捧げます」と、その信念と決意のほどを、確固たる自信に満ちた口調で語っている。インドの科学を西洋並みのレヴェルに引き上げるという悲痛なまでの心情を読み取ることができる。その心情と思想の背景には、アジア人で最初にノーベル文学賞受賞者(1913)の詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)たちとの親密な友情と交流が影響しているのだろう。ボースの妻の献身ぶりにも感動する。
    出版社(工作舎)の企画と訳者の労によって評者ははじめてインド人科学者の本格的な評伝を読む機会を得ることができた。訳者の新戸雅章氏は日本におけるニコラ・テスラ研究の第一人者の作家・科学史家であるが、華々しい表の世界に登場しない人物を発掘する作業に取り組んでいる。著者のゲデス、主人公のボース、そして新戸氏が時空を超えて共鳴する本書を得て、日本ではほとんど無名であった「インド科学の父」を知ることができるようになったことをともに喜びたい。

    2009.9.30 山形浩生氏「山形月報!」
    パトリック・ゲデス『インド科学の父ボース』(工作舎)。……ゲデス?? パトリック・ゲデス? いや、この名前を店頭で見かけてのけぞりました。この人は二〇世紀初頭の都市計画の重鎮で、ぼくのヒーローの一人。
    この本は、かれがインドで出会った、大インド科学者の伝記なんだけれど、変なインド中心主義のローカリズムに陥ることなく、普遍性を持った科学の道をボースが切り開いていく様子が美しく描かれている。
    そしてゲデスは、どうすればボースのような人々がもっと活躍できるのか、という発展条件を考えていて、現在の人材育成や科学発展に対する示唆としても読める。(週刊ビジスタニュース/SoftBank Creative発行)

    2009年10月 月刊インド
    インド独立運動のために日本との協力を策したスバス・チャンドラ・ボースと、ラス・ビハリ・ボース以外に、「科学者のボース」の存在を知っている方は、インド通を自認する方々の中にも少ないのではないでしょうか。本書は、科学者“ジャガディス・チャンドラ・ボース”の生い立ちと、研究の成果を紹介したもので、大変興味深い内容が目白押しです。(財団法人日印協会刊行)

    2009.8.5-20合併号 宗教新聞書評
    本書で紹介されるボースは、「中村屋のボース」でも独立運動家のボースでもない。しかし、今日IT大国となったインドにとって、その貢献は二人のボース以上だと言えよう。
    1857年、今のバングラデシュ・ダッカで生まれたボースは、カルカッタの大学で当時、最先端の電磁波の研究に取り組み、ミリ波を使ったコヒーラ(電波検出装置)の開発で宗主国、英国でも注目された。98年には無線の公開実験を成功させ、マクウェル、ヘルツ、マルコーニらに匹敵する役割を果たしている。 コヒーラの実験中、金属が筋肉疲労と同じような反応を示すことに注目したボースは、生物と無生物の境界を超える科学の可能性を感じ、植物を使った生理学の研究を始める。電波や光、圧力、重力などの刺激に、植物がどう反応するのか、系統的に調べたのである。
    反発の背景にはインド蔑視もある。やがてボースは戦いに勝利し、一般紙までが、インド人にはヨーロッパ人に欠けた、物事を統一的に把握する力がある。と評価するに至った。




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