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週刊朝日 2002年2月1日号 布施英利氏書評再録

砂浜のヒトデ、一枚の落葉に宇宙を感じるナチュラリストが招く
「もうひとつの文明」

 『星投げびと』とは、奇妙なタイトルの本である。
 これはメルヘンでも詩集でもない。神話でもない。自然をめぐる、短編エッセイをまとめた本である。
 その一つのエッセイに「星投げびと」と題したものがある。
 ある夜、海辺を歩いていると、潮がひいた砂浜に、ヒトデがいた。「長い足をもつヒトデ(スターフィッシュ)が一面にばらまかれていて、まるで夜空が浜辺に落ちてきたかのようだ」という。そんな砂浜で、男が、ヒトデを拾い集めて、海に向かって投げていた。砂浜のヒトデは、干からびて死んでしまう。しかし「うまく投げてやれば、助けてやることもできるんだ」と言う。

 彼が、星投げびとだ。

 海岸での、ただの一景にすぎない。しかし、それが「宇宙」へと広がるような、深みがある。この本の著者は、すばらしい感性の持ち主である。

 著者のローレン・アイズリーは、アメリカを代表するナチュラリストだ。この本は、彼の遺稿から傑作エッセイを厳選してまとめたものである。

 アメリカにはネーチャー・ライティングという文学の一つの流れがある。『森の生活——ウォールデン』を書いたヘンリー・D・ソローやエマソンといった巨匠が名を連ねているが、ローレン・アイズリーは、その「後継者」ともいえる存在だった。自然の中に分け入り、そこに「宇宙」を感じ、深い思索をした。

 ぼくたちはアメリカというと、ディズニーランドやハリウッド映画の国、あるいは「消費」という価値観を世界にばらまいた国、というイメージをもっている。いわば、パワーはあるが「底が浅い」と考えがちだ。しかし一方で、優れたナチュラリストを輩出し、人間と自然のかかわり、という思想を深めてきた国でもある。この本にはそんな良心がちりばめられている。

 ローレン・アイズリーはソローに影響を受け、この本の中でもソロー論にたくさんのページを費やしている。

 ソローは、自然というものを「もうひとつの文明」と考えた。そこから無限の知恵を引き出そうとした。

 自然を見る「ナチュラリスト」には、いろいろな才能が求められるという。あるシーンを永久にとどめておく「記憶力」、広大さや自然にこめられた「神秘への感情」、そして強力な美意識。

 この『星投げびと』という本にも、そんな才能があふれている。ぼくたちは、ナチュラリストの目を通して、「もうひとつの文明」へと招待される。

 アイズリーは、こう書く。「一枚の落葉を見てもなんの感興ももよおさない者もいるが、ソローの目で見るものは、私たちが秋と呼ぶ郷愁に満ちた世界のすべてを呼びさます」。

 自然を深く感じ取るのは、難しい。しかし「ナチュラリスト」になることで、ぼくたちも一枚の落葉に「秋」が感じられるようになる。さらにはその背後にある宇宙の摂理に触れることもできる。

 アイズリーは、またこうも書く。「自然のなかには人間が付与した役割以上の何かがある」と。

 つまり「自然」には、汲めども尽きない、無限の泉がある、というのだ。

 レオナルド・ダ・ヴィンチも、その手記で「優れた画家は自然に学ぶ」と書き残していたが、まさに自然は最高の教師なのだ。いかに文明が進もうと、そのことに変わりはない。

 かつて、ポストモダンだなんだと、喧伝された。つまり、すべては出尽くし、やり尽くされた、と言われた。しかし、自然は無限の泉だ。やることは、まだ、たくさんある。

 さあ、「自然」の中に出かけようではないか。ナチュラリストとは、じつは二十一世紀の知性なのだ、と教えられる本である。

布施英利(ふせ・ひでと=作家)





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