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ライプニッツ通信II

第8回 妙なるモナドの連鎖

2014年が『モナドロジー』執筆300 周年、今年がライプニッツ没後300周年ということもあって、このところモナドやライプニッツをめぐる研究会や文献がいちだんと充実してきて、嬉しいかぎりです。

なかでも感慨深かったのは、「ゲーテ自然科学の集い」が2014年秋の総会を「モナドロジーとゲーテ形態学──新たな普遍学のプログラムに向けて」と題して慶應大学にて開催。その内容を収載した会報誌『モルフォロギア』37号を昨年秋に刊行したことです。

「ゲーテ自然科学の集い」は、あの激動の1969年、独文学者・木村謹治/菊池英一、哲学者・富永半次郎、医学者・千谷七郎、解剖学者・三木成夫といった錚々たるメンバーが中心となって創立。木村謹治の弟が日本でいち早くL・L・ホワイトの形態学を紹介した生化学者・木村雄吉ということもあって、当初より文系と理系を超えた研究会として異彩を放っていました(以下敬称略)。

創立10周年を迎えた1979年秋には、会報誌『モルフォロギア』(ナカニシヤ出版)を創刊。記念すべき同号以来、本邦初紹介のゲーテ『色彩論』論争篇(前田富士男訳)が掲載され、さらに20年後のゲーテ生誕250周年には、完訳版『色彩論』(高橋義人・前田富士男・南大路振一・嶋田洋一郎・中島芳郎訳)として上梓されました。

同誌5号(1983)には、前年の総会の基調講演、下村寅太郎「ルネッサンス的人間としてのゲーテ」を掲載。 「近代科学は魔術の否定ではなく魔術の実現である。魔術を人間自身の手によって実現せんとする積極的意欲の成立、魔術思想の根本的転換がルネッサンスの時代の事件である。……魔術思想に前提される世界は可能性をもつ世界であって、普遍不動の世界ではない。近代科学の合理主義はかかる魔術思想と共通の、あるいは共同思想を「根源」とする。古典的合理主義の立場からは非合理的、反合理的とされるものである」と、デモーニッシュな力の両義性を『ファウスト』に昇華させたゲーテを論じています。文献にはP・ロッシ、E・ガレン、D・P・ウォーカーの著作と並んで、まだ邦訳のなかったF・イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』の原書を掲示。とくにライプニッツには言及していませんが、ライプニッツを通して精神史を見渡す面白さが奈辺にあるか、示されているような気がします。

さらに時は移って2014年、創立45周年を迎えたゲーテ自然科学の集いと創立5周年の日本ライプニッツ協会が協力したのが冒頭のシンポジウムでした。

世紀を超えた考察にならざるをえないだけに、非専門家にとってもモナドのダイナミズムを実感するにはいずれも興味深い内容なので、『モルフォロギア』37号の特集「ゲーテとモナドロジー」目次を以下に紹介します。

 巻頭コラム ハルツのモナドロジー
      ──‘日本人’ペーター・ハルツィンクの記憶とともに 粂川麻里生
 モナドロジーの哲学的射程──モナドの〈無窓性〉をめくって 酒井潔
 哲学史の中のモナドロジー──17世紀と無の形成力 山内志郎
 モナドロジー的世界観の美学的意味──小田部或篤久
 モナド・エンテレケイア・マカーリエ
      ──ゲーテにおける「個」の不滅の問題 久山雄甫
 形態学と歴史哲学
      ──ゲーテとベンヤミンのライプニッツ解釈をめぐって 茅野大樹
 モナドロジーの生命論的展開──ユクスキュルのゲーテ受容について 粂川麻里生

ゲーテ自然科学の集いの粂川代表による巻頭コラムは、ハルツ鉱山のための技術開発でハルツィンクのアイディアを剽窃したと言われることもあるライプニッツですが、二人の関係を「生産的にぶつかり合った」としています。またゲーテがハルツ山をくまなく歩き回り、ブロッケン現象に魅せられて「ワルプルギスの夜」を書いたとして、宇宙誌の鏡としての同地にふれています。

もうひとつ顕著な事件としては、Y・ベラヴァル『ライプニッツのデカルト批判』(岡部英男・伊豆藏好美訳、法政大学出版局)下巻が昨年末に刊行され、ついに大著の全貌が明らかになりました。著者は、『人間知性新論』の筆頭訳者、谷川多佳子の師。船乗りや関税検査官などをへた後にソルボンヌ(パリ第1大学)哲学教授となった方で詩人でもあったというだけあって、考察は深く、記述も味わい深い展開です。

デカルトの天才あってこそのライプニッツであったことが多方面から明かされ、今日のわれわれが世界と向き合うさいにも示唆に富む内容です (十川治江)。







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