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ライプニッツ通信II

第35回 日本ライプニッツ協会春季大会


例年にも増して桜の開花が早まり、花びらの散り始めた3月31日、都心とは思えない静謐な環境に恵まれた聖心女子大学グローバルプラザにて、日本ライプニッツ協会の春季大会が開催されました。

春季大会は、秋季大会のみでは発表希望者の要請に応えられないという慶ばしい悩みを解決するため、モナドロジー300年の2015年に学習院(酒井潔氏主宰)で開催され、以後毎年、大阪大学(上野修氏主宰)、神戸大学(松田毅氏主宰)と場所を移して開催されてきました。

今回は第1巻でホッブズ宛書簡を翻訳・解説くださった伊豆藏好美氏主宰。佐々木能章・米山優両氏より少し若い世代として山本信先生の指導をうけ、山内志郎氏とともに院生時代より中野幹隆氏(2007年没)編集の『哲学』(季刊・哲学書房)にライプニッツの翻訳を発表してきた方です。

『山本信の哲学 形而上学の可能性を求めて』(工作舎)にも「ホッブズと若き日のライプニッツ」と題した論考を寄稿し、Y・ベラヴァルの大著『ライプニッツのデカルト批判』(上下・岡部英男共訳、法政大学出版局)も上梓されています。

春季大会は、遠距離からの参加でも日帰りできるよう、午後からのプログラム。
1 三浦隼暉(東京大学修士課程) /佐々木能章司会
  後期ライプニッツの有機体論:機械的機構との連続性および非連続性の観点から──マサム夫人宛書簡やゾフィー・シャルロッテ宛書簡とともに、第3巻第2部のハイライト、G・E・シュタールとの論争をとりあげて、機械論にして有機体論というライプニッツの生命論の独自性をクローズアップする。

2 増山浩人(日本学術振興会・慶応義塾大学)/伊豆藏好美司会
  物の可能性の窮極根拠[理由]としての神:カントによるライプニッツの自然神学の受容──『モナドロジー』において、神の存在論的証明と可能性に基づく証明を行ったライプニッツに対し、カントは若年期も批判期も一貫して神の存在論的証明を否定したが、可能性に基づく証明については自らの体系に保持していたことを明かす。増山浩人氏は、第1巻『ヤコプ・トマジウスとの往復書簡』を山内志朗氏と共訳。

3 山田弘明(名古屋大学名誉教授)/谷川多佳子司会
  ライプニッツから見たバイエ『デカルト伝』──A・バイエの大著『デカルト殿の生涯』(1691)の要約版(1692)を読んだライプニッツが記した『デカルト氏の生涯の要約についての注記』(1693)をとりあげ、ライプニッツがどのような点に関心を示したか光をあてる。

第1巻第2部「サロン文化圏」を大西光弘、橋本由美子(4月18日一周忌!)両氏とともに翻訳くださった山田弘明氏は、『デカルト=エリザベト往復書簡』(講談社学術文庫)、『哲学原理』『省察』(ちくま学芸文庫)、『デカルト全書簡集』全8巻(知泉書館)、『デカルト医学論集』に続きこの2月に上梓されたばかりの『デカルト数学・医学論集』(法政大学出版局)など、精力的にデカルトの原典翻訳を推進されてきた方。現在はバイエの大著の全訳を進めていることもあり、ライプニッツの『注記』から紹介されたエピソードはいずれも興味深いものでした。
なかでも数学者にして歴史家でもあったライプニッツらしいコメントは、バイエの伝記では言及されていなかったというライデン大学のアラビア語の教授、ヤコブス・ゴリウス(Jacobus Golius, 1596 – 1667)に関する一件です。

ゴリウスはデカルトに幾何学への門を開いた。ゴリウスは忘れられていた古代の幾何学に通じていた。デカルトは自らの方法を声高に喧伝していたので、ゴリウスはパッポスが伝える古代人の大問題──軌跡によってある曲線を算出すること──を彼に示した。この問題には6週間を要し、『幾何学』第一部をほとんど占めている。ボイルは、デカルトが一つの問題を6週間で解いたと驚いたが、この問題にはまだ長い続きがあることを考えるべきである。

ゴリウスについては、デカルトも『幾何学』で言及していないので、知の系譜をつねにサーチしていたライプニッツの面目躍如といったところでしょう。
パリでデカルトの数学に出会い、たちまち微積分を創始したライプニッツには、デカルトが取り組んだ問題の「長い続き」が見えていたのでした。

パリを発つ4か月前の1676年6月1日、ライプニッツはデカルトの友人で遺稿を管理していたC・クレルスリエを訪ね、デカルトの遺稿見せてもらい、その一部を筆写しました。後にこれらの原本は失われてしまったので、ハノーファーに残されたライプニッツの手稿は、公刊されなかったデカルトの数学的考究を後世に伝える貴重な資料となりました。

E・アクゼル『デカルトの暗号手稿』(早川書房)は、1987 年、科学史家のP・コスタベルがこのライプニッツの筆写した暗号めいた文書『立体要素について』を解読して、デカルトが「オイラーの多面体定理」(頂点の数+面の数—辺の数=2)を見出していたことを証し、ライプニッツは暗号を解読していたとする経緯を物語仕立てで紹介しています。

力の概念や生命観ではデカルトを批判したライプニッツですが、山田氏が最後に紹介した『注記』からの言葉は、デカルトへの賛辞でした。

[デカルトの死後]、彼を越えさえする偉大な人が輩出されたが、彼ほど広い視野をもち、透徹した深い洞察を併せもった人を私は知らない。

番外として、多くの日本ライプニッツ協会の方々のご支援のおかげで晴れて上梓できた、福島清紀『寛容とは何か』も担当編集者の堤靖彦より披露させていただきました。

(十川治江)


『デカルト数学・自然学論集』
『デカルト数学・自然学論集』

(山田弘明・中澤聡・池田真治・武田裕紀・三浦伸夫訳、法政大学出版局)
ライプニッツが筆写した遺稿も『立体の諸要素のための練習帳』と題し
第3巻では『パパンとの往復書簡』を訳した池田真治氏が翻訳・詳説。





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