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特集:ダーウィン 博物学から進化論まで

東京・上野の国立科学博物館で開催中の「ダーウィン展」(*1)は、人間ダーウィン像に迫る展示として評判を呼んでいる。

日本展示の監修者の一人、渡辺政隆氏は、ダーウィン伝記の決定版『ダーウィン〜世界を変えたナチュラリストの生涯』の翻訳者である。 多数の手稿、手紙、標本などを交えて、家系から『種の起源』発表に至る苦悩まで伝えるこのダーウィン展は、つまり『ダーウィン〜世界を変えたナチュラリストの生涯』を立体化した内容展開といえる。

ダーウィンと進化論の工作舎関連図書を紹介したい。ダーウィン展同様、まずダーウィン以前の博物学の時代から始めよう。(出版営業部・岩下祐子)

※1)◎ダーウィン展 https://darwin2008.jp/
東京展 国立科学博物館
   2008年3月18日(火)─ 6月22日(日)
大阪展 大阪市立自然史博物館   2008年7月19日(土)─9月21日(日)
ダーウィン〜世界を変えたナチュラリストの生涯
ダーウィン世界を変えたナチュラリストの生涯
A・デズモンド+J・ムーア=著  渡辺政隆=訳  1999年刊行



【ダーウィン以前:博物学の世界】
大博物学時代 進化と超進化の夢
荒俣 宏=著  1982年刊行
「ダーウィン展」は18世紀科学の中心だった博物学から始まる。博物学(Natural history)とは、動植物から鉱物にいたるまで、自然物の収集および分類を行う学問である。進化論に修練され忘れ去られてしまう。本書は博物学を1980年代の日本に甦らせたアラマタさんによる博物学概論。リンネ、ビュフォン、キュヴィエからダーウィンまで登場する。
タコ
ビュフォンの博物誌・表紙

ビュフォンの博物誌 全自然図譜と進化論の萌芽
ビュフォン=著  荒俣 宏=監修  ベカエール直美=訳 1991年刊行


『大博物学時代』でアラマタさんが絶賛した図鑑が、ビュフォンの『一般と個別の博物誌』。ビュフォンはパリ王立植物園園長を務めた人物。この54巻にもわたる博物誌は、ビュフォンの死後ようやく完結し、後世の博物図鑑に決定的な影響を与えた。その全図版1123点3000余種をオールカラーで復刻した本書の美麗な図版を、ぜひご覧あれ。
[Recommended Image]博物学への誘い—ビュフォンの鳥たち

ビュフォンの鳥
女性を弄ぶ博物学・表紙 女性を弄(もてあそ)ぶ博物学 リンネはなぜ乳房にこだわったのか?
ロンダ・シービンガー=著  小川眞里子+財部香枝=訳  1996年刊行 (2008年5月復刊)
ダーウィンの時代、リンネの分類学が君臨していた。しかし、その分類法は人為的であり、特に植物は生殖器官のみを分類基準とすることから、当時から論争となった。その批判の急先鋒はビュフォンだった。 こうしたリンネの分類法を筆頭に、当時の男性中心の博物学の虚妄をメッタ斬りにしたのが本書である。ジェンダー研究の白眉。5月に復刊が果たされたばかり。
ミス・チンパンジー
【ダーウィンの血筋】
エラズマス・ダーウィン・表紙 エラズマス・ダーウィン 生命の幸福を求めた博物学者の生涯
デズモンド・キング=ヘレ=著  和田芳久=訳  1993年刊行
18世紀イギリス博物学の世界で欠かすことのできない人物が、エラズマス・ダーウィン。チャールズ・ダーウィンのおじいさんである。裕福な医者である一方、フランス革命に共鳴し、発明家であり、リンネの植物分類学を「植物の愛」としてうたった詩人。そしてラマルクの進化論を支持し、独自の進化論を唱えた『ズーノミア』も発表。そんな進取の血筋に、チャールズは生まれたのだった。
化石
【ダーウィンの生涯】
ダーウィン・表紙 ダーウィン 世界を変えたナチュラリストの生涯
A・デズモンド+J・ムーア=著  渡辺政隆=訳  1999年刊行
チャールズ・ダーウィンは生まれながらの偉人だったわけではない。お金持ちのボンボンゆえに医者の道を断念し、牧師になるべく進学したケンブリッジ大学で植物学と地質学に夢中になってしまった。ビーグル号航海は「牧師には必要ない」と父の反対にあっていた。ましてや、自然淘汰説は20年もの間発表せずにいた。そうしたエピソードが社会的背景、そして膨大な書簡などの資料から立ち上ってくる。
ディングル賞など英米伊の数々の科学史賞を受賞し、ダーウィン伝記決定版。平易な訳文は読みやすく、ダーウィンに血が通い、身近な存在に感じる。高額・箱入り2分冊という外観にひるんではいけない。
ビーグル号
【知られざる側面】
ダーウィンの花園・表紙 ダーウィンの花園  植物研究と自然淘汰説
ミア・アレン=著  羽田節子+鵜浦 裕=訳  1997年刊行
意外なことに、ダーウィンが植物研究に熱中したことは知られていない。大学で植物学者ヘンズローを師に仰ぎ、師の紹介でビーグル号航海に乗船、数々の植物標本を持ち帰った。植物学者フッカーら友人には植物音痴だと自称しながらも、たえず植物を観察し園芸誌に発表した。その結果、『植物の運動力』をはじめ7冊もの植物著書が残る。植物との関わりを中心に、家族と友人との愛にあふれたダーウィン伝である。
蘭
ダーウィンと謎のX氏_表紙 ダーウィンと謎のX氏 第三の博物学者の消息
ローレン・アイズリー=著  垂水雄二=訳  1990年刊行
ダーウィンが逡巡した自然淘汰説を世に問うことにしたのは、若手学者ウォレスも独自の調査を通して同じ結論に至ったからだった。これは有名なエピソードだが、自然淘汰説を他にも考えた者がいたという。それが「謎のX氏」ことエドワード・ブライスだ。ダーウィンの1歳年下で、22年間インドの博物館長を勤めた人物である。博物学雑誌に寄稿した試論は、まさしく自然淘汰。そしてダーウィンがこの論文からアイデアを無断借用したと、糾弾されるのだ。渦中のブライス論文も収録した、スリリングな書。
頭蓋骨
【ダーウィンが与えた影響】
ダーウィンの衝撃・表紙 ダーウィンの衝撃  文学における進化論
ジリアン・ビア=著  富山太佳夫=解題  渡部ちあき+松井優子=訳  1998年刊行
『種の起源』は、敬虔なヴィクトリア朝時代の人々に大きな衝撃を与えた。思想・社会的影響はもちろんだが、一種の文学的テクストとして読まれたのだ。原因と結果に重点を置く物語であり、家系と血縁を主眼とする物語、そして偶然に左右される物語だ。エリオットやハーディなど、小説家たちは進化論の隠喩に染まった。19世紀末英文学への影響が甚大だったことがわかる。
イメージ画像/花
ロシアの博物学者たち・表紙 ロシアの博物学者たち ダーウィン進化論と相互扶助論
ダニエル・P・トーデス=著  垂水雄二=訳  1992年刊行
ダーウィンの自然淘汰説には、マルサスが『人口論』で説く「生存闘争」が隠喩となっている。『種の起源』を読んだロシアの博物学者たち、すなわち地質学者にしてアナーキストのクロポトキン、ノーベル生理医学賞を受賞したメチニコフらは、闘争よりも協調にあると考え、マルサス抜きのダーウィニズムを唱えた。
メチニコフ
個体発生と系統発生・表紙 個体発生と系統発生 進化の観念史と発生学の最前線
スティーヴン・J・グールド =著  仁木帝都+渡辺政隆=訳  1987年刊行
ダーウィンの進化論は支持され、数多の「ダーウィン主義者」を生んだ。「個体発生は系統発生をくり返す」という反復説で一世を風靡したヘッケルも、またこの本の著者グールドもその一人。軽妙な科学エッセイで知られるグールドが、反復説を詳細に検証し、大進化の謎を挑んだ主著。なおグールドの遺著となった大著『The structure of evolutional theory』も渡辺政隆氏の訳が着手された。刊行が待たれる。
カメレオン

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