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ポロック

1940年代から60年代のニューヨークで展開した抽象表現主義は、画家と絵画の一体化を促す内容を含んでいた。それは巨大なキャンヴァスを使い、色や線を全体に均質に広げていく。抽象表現主義は創作過程を重視した。キャンヴァスはイメージを再現する場ではなく、画家の描画行為の場になった。ジャクソン・ポロック(1912〜56)は、こうした抽象表現主義美術を代表する画家である。


《32番, 1950を制作するジャクソン・ポロック》
《32番, 1950を制作するジャクソン・ポロック》

ポロックは、アクション・ペインティングのパフォーマンスをもって、美術家と作品の融合に関する伝説をつくりあげた。よく知られているように、文字通り「絵の真ん中で」ドリッピング(絵具を滴らせること)した。彼は、キャンヴァスを床に置き、そのすぐ脇で、あるいはその上ないしその中に立ち、あらゆる位置から制作を進めた。そして、美術家が作品の〈中に〉いることを、実際に目で見て確認できるように、しばしば真上から写真を撮らせて作品との融合を演出した。

画家の立つ位置が絵画の〈前〉から絵画の〈中〉へ変化したことによって、美術評論家クレメント・グリンバーグが主張した「イーゼル画の危機」が現実のものになったように見えた。ポロック自身による説明はさらにそれを超えている。ポロックは雑誌『可能性』1号(1947/48)に発表したエッセー「私の絵画」で、比喩的な意味でも自分は絵画の中にいる、そして、この自己表出の活動では無意識に仕事をしていると述べている。「私は絵の『中に』いるときには、自分がやっていることを意識していない」。

ポロックの作品を自己表現および人生の痕跡と見なすなら、それをもって、美術家の人格が関心の中心に押しだされたことになる。行為のアレーナとしてのカンヴァスと、行為者としての美術家は、相互関係をもっている。実際、ポロックは、主観と客観の領域の区別を解消し、自分が絵画と一体化していると感じようと努めた。それゆえ、ドイツの美術史家ハンス・ベルティングがこの自発的な越境と中国の画家の伝説との関係を指摘したことは正しい。

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