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ライプニッツ通信II

第22回 ジオコスモスの大転換

1968年、アポロ8号の宇宙飛行士ウィリアム・アンダースが撮影した月面から上がる青く輝く「地球の出」のカラー写真は、地上の私たちにも鮮烈なインパクトをもたらしました。翌年第3次中東戦争のさなか、アポロ9号の飛行士ラッセル・シュワイカートは、宇宙遊泳中に個を超える意識を体験。漆黒の宇宙空間に青く輝く地球の姿とシュワイカートによる宇宙体験の広報活動は、さまざまな層に意識変容をうながし、J・ラヴロックが『地球生命圏』で展開した「ガイア仮説」の追い風ともなりました。1985年、吉福伸逸氏がオーガナイズした日本で初めてのトランスパーソナル国際会議(第9回:於京都)には、スタニスラフ・グロフ、フランシスコ・ヴァレラらとともにシュワイカートも来日し、宇宙空間での神秘体験を熱く語っていました。

いまや元宇宙飛行士の毛利衛氏が館長をつとめる日本科学未来館のシンボル展示「ジオ・コスモス」では、宇宙から見たリアルな地球の姿はもちろん、気象や生態系などのさまざまなデータを地球単位で一望することができます。

20世紀後半の地球観の大転換に先立つ科学革命の時代、地球観がいかに変容をとげたのかをまとめた貴重な一著が刊行されました。山田俊弘著・ヒロヒライ編『ジオコスモスの変容:デカルトからライプニッツまでの地球論』(勁草書房)です。

山田俊弘氏は1985年以来、勤務先であった千葉県立船橋高校の『研究紀要』にニコラウス・ステノの主著『プロドロムス』の翻訳を掲載されてきた方。工作舎とのご縁は、2001年1月、修士論文『ニコラウス・ステノと17世紀地球論』の最終仕上げ段階に、当時東大駒場裏の松濤にあったオフィスを訪ねてこられ、ライプニッツ『プロトガイア』(第I期10巻)の手稿の未収録分も併せてコピーされたのが始まりでした。同年3月には晴れて修士号を取得。7月にはコピーされた図をテーマとした論文「ライプニッツ『プロトガイア』手稿中の未発表素描図」(英文)が掲載された地質学史懇話会の英文ニューズレター(JHIGEO Newsletter, No. 3, 4-6)の抜刷りをお送りくださいました。同誌は国際地質学史学会の会員に送付され、ライプニッツの手稿中の図に対するステノの影響を示した山田氏の同論文はさまざまな国の研究者に引用されているそうです。

2004 年春には「ステノ的革命かライプニッツ的再生か?:17世紀における地球史の構築」(英文)と題した論文が掲載された日本科学史学会の欧文誌(Historia Scientiarum,13, 2003, 75-100)の抜刷りを拝受。同論考は、2006 年に創設された日本科学史学会賞の第1回論文賞を受賞したとのことです。

2004年秋には長年推敲を重ねた、ステノの『プロドロムス:固体論』(東海大学出版会)をついに上梓。相前後して、アラン・カトラー『なぜ貝の化石が山頂に?:地球に歴史を与えた男ニコラウス・ステノ』(2003; 鈴木豊雄訳、清流出版 2005)が刊行されたことは、鈴木氏が『テスラ』の訳者であり、同書の装丁者が元工作舎アートディレクターの西山孝司氏でもあったので、相乗効果をひそかに祝したものでした。

「ヘルメスの図書館」(Bibliotheca Hermetica: BH)と題したウェブサイトを1999年以来運営しているヒロヒライ氏は、同サイトに集った研究者の成果発表の場として『ミクロコスモス:初期近代精神史研究』第1集を上梓(月曜社 2010)。ご自身の論考「ルネサンスにおける世界精気と第五精髄の概念:ジョゼフ・デュシェーヌの物質理論」やマルシリオ・フィチーノ「光について」(平井浩訳)はじめ、山田氏の「ニコラウス・ステノ、その生涯の素描:新哲学、バロック宮廷、宗教的危機」を収載しました。

そしてついにこの2月、ヒライ氏が勁草書房で立ち上げたBH叢書の第4弾として『ジオコスモスの変容』が刊行され、3月8日にはヒライ氏と山田氏のトークショーも、建替をひかえたソニービルの期間限定書店 EDIT TOKYOで開催されました。

トークショーでは、ステノ研究ひとすじの山田氏をあるときはもみほぐし、あるときは一刀両断し、ステノを水先案内人とすることで、デカルト、キルヒャー、フック、スピノザ、ライプニッツといった17世紀の偉才たちの地球観を追体験できる一著に仕上げたヒライ氏の辣腕編集者ぶりが、ユーモアとともに明かされました。マクロコスモス、ミクロコスモスの2極に加え、第3極ジオコスモスをたてたキルヒャーによる図の紹介も、キルヒャー、ヒライ、山田3氏の地球への偏愛ぶりを表していて印象的でした。

ライプニッツがステノに会ったのは、ヨハン・フリードリヒ公に仕えて間もない1667年ごろのこと。解剖学者としてスタートを切り、諸国を遍歴しながら地質や化石などの研究を重ねたステノから、ライプニッツは多くを学んだことでしょう。その知識はヨハン・フリードリヒ公宛書簡『ハルツ鉱山開発献策』(1679: 第3巻所収)に活かされ、その後1686年にいたるまで30回以上ハルツに出かけて確認、増強され、『プロトガイア』(c.1691)に結実します。

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家史を書くにあたって『プロトガイア』からはじめたライプニッツの意図は、ステノとともに人間の歴史は自然史を前提にしていることを後代に伝えたかったからにちがいありません。

日本ライプニッツ協会春季大会のプログラムは下記のとおりです。
日時:2017年3月25日(土)13:00〜17:30
会場:神戸大学・六甲台第2キャンパス 人文学研究科A棟1階学生ホール
プログラム:
 研究発表1 増山浩人「カントのライプニッツ哲学受容の源泉としてのバウムガルテンの『形而上学』(司会:山根雄一郎)
 研究発表2 中山純一「現象学者の省察の道と超越論的モナドロジー」(司会:陶久明日香)
 シンポジウム 「ライプニッツ数理哲学の最前線」
  稲岡大志「「新しくで便利なもの」:ライプニッツ数学研究における図形の推論上の機能について」
 阿部皓介「中期ライプニッツにおける問題と解析」
 池田真治「虚構を通じて実在へ:無限小の本性をめぐるライプニッツの数理哲学」
 ディスカッション(司会:松田毅)

(十川治江)


ニコラウス・ステノ(Nicolaus Steno, 1638 – 1686)
ニコラウス・ステノ(Nicolaus Steno, 1638 – 1686)








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