工作舎ロゴ

連載読み物 Planetalogue



ライプニッツ通信II

第38回 逝きし恩人たち


第II期『ライプニッツ著作集』全3巻も、第3巻『技術・医学・社会システム』の刊行をもって無事に完結できました。

第II期を夢想しはじめたのは、3年後にライプニッツ没後300年をひかえた2013年初頭のこと。経済的には最悪の状況にあったものの、どん底にあればこそ壮大な夢が必要ではないか、いや暴挙はつつしむべきかなどと、何度か行きつ戻りつしたあげく、同年6月14日、酒井潔氏にメールでそっと打診してみたのでした。

折しも酒井氏はプラハ・カール大学に出張中。プラハに移る前にハノーファーで各国のライプニッツ協会会長と2016年の没後300年の記念学会について検討したばかりとあって、即、以下のようにポジティブな返信をいただきました。

「どういうジャンル、どういう著作・書簡を入れるかは、どのくらいの巻数になるのかという規模にもよると思いますが、哲学だとゾフィーやゾフィー・シャルロッテとの往復書簡はぜひ入れたいですし、ホッブズやスピノザ主義に絡む書簡も気になります。神学、法学(法哲学)、歴史学、政治哲学、技術などのジャンルからも是非いくつかのものを選んで入れたいですね。このように考え始めるとワクワクしてきます」。

酒井氏帰国後の8月下旬の打合せで、巻数は3巻にまとめ、2014年から1巻ずつ出して、2016年には全3巻完結とする努力目標が定まりました。その後、佐々木能章氏の了承をえて、監修は両先生のツートップ態勢とし、11月初頭の打合せで、ほぼ3巻の構成と主な訳者が決まりました。

第I期の監修者四人のうち、翻訳および翻訳チェックもされたのは、原亨吉先生のみでしたが、第II期の監修者は両先生とも、ご自身翻訳されつつ全訳稿の翻訳をチェックし、複数回の校正にも尽力されました。

毎年1冊ずつ刊行とはゆかず、第1巻『哲学書簡』(2015)、第2巻『法学・神学・歴史学』(2016)、第3巻『技術・医学・社会システム』(2018)、と完結は予定より2年遅れましたが、大半が本邦初訳の著作・書簡であることを考えれば、むしろ異例の速さといえるのかもしれません。これもひとえに、監修の両先生と日本ライプニッツ協会の諸先生の全面的なご協力の賜と感謝するばかりです。

1980年代初頭に『ライプニッツ著作集』の企画を下村寅太郎先生にご相談して以来、ほんとうに多くの方々のご支援・ご協力を仰いできました。お盆が近づき、花火大会が開催されるこの季節になると、他界された方々のことが折々のエピソードとともに甦ります。以下にメモを記します(敬称略)。

中村幸四郎(第I期監修; 1986年9月29日没):日本の数学史研究を国際レベルにひきあげた先駆者として、原亨吉、佐々木力ら次世代の支援にダンディズムを発揮。

清水富雄(第I期4・5巻『人間知性新論』前任者; 1987年12月28日没): 序文に着手しはじめて間もなく病没。

イヴォン・ベラヴァル(発見術への栞7寄稿; 1988年11月19日没):谷川多佳子の師として、4・5『人間知性新論』の解説を承諾していたが他界。栞は『ライプニッツのデカルト批判』〔法政大学出版局 2011, 15〕原著より岡部英男が抄訳。

E・J・エイトン(『ライプニッツの普遍計画』著者; 1991年2月21日没):1990年初頭の邦訳上梓をたいへん喜び、同年5月には来日してICUや東大駒場で講演。渡辺正雄ら訳者とささやかなレセプションも開催。

A・ ハイネカンプ(第I期創刊パンフレット寄稿; 1991年11月20日没):1990年ドイツ統合の年のフランクフルト書籍市参加を兼ねてハノーファーのライプニッツ図書館を訪問したさいの心温まる歓待ぶりがなつかしい。

西谷裕作(第I期8『形而上学叙説』9『モナドロジー』翻訳; 1994年9月9日没):父君・西谷啓治の盟友でもある下村寅太郎の愛情と期待を一身に浴びて主要著作を翻訳。晩年はスペイン、ヴァレンシアに移住。

下村寅太郎(第I期監修; 1995年1月22日没):中村幸四郎の葬儀に知恵夫人同伴でかけつけ、84歳の身で棺を運ぶ一人に加わった。京都一中時代はボート部員としてレースに汗を流したこともあった由。

花田圭介(第I期4・5『人間知性新論』翻訳助言; 1996年2月16日没):テクストや参考文献など、翻訳・訳注に役立つ情報を提供。カッシーラー『英国のプラトン・ルネサンス』翻訳を監修。

澤口昭聿(第I期1『論理学』翻訳; 1998年2月27日没):刊行予告をした巻の訳稿が諸事情で没になるなか、着々と翻訳を推進して1988年11月、第1回配本を実現。『ライプニッツ著作集』の企画が空砲ではなかったことを証す。

野田又夫(発見術の栞2寄稿; 2004年4月22日没):十七世紀哲学に深くかかわったファルツ選帝侯一家についての小論はイエイツ『薔薇十字の覚醒』とも響き合う。

渡辺正雄(エイトン『ライプニッツの普遍計画』翻訳; 2005年5月4日没):著作集本体が未刊のおりに、訳語の吟味を重ねてライプニッツの全業績を網羅した伝記を翻訳刊行(1990)。

竹田篤司(第I期8『アルノーとの往復書簡』翻訳; 2005年6月3日没):自由闊達な訳文を駆使して、酒井潔のアカデミックで精緻な訳注・解説と絶妙なバランスを保つ。下村寅太郎の「若い友人」として、次世代の訳者陣への橋渡し役を果たす。

山本信(第I期監修; 2005年11月8日没):『ライプニッツ著作集』のご縁で『形而上学の可能性を求めて:山本信の哲学』(2012)を刊行。同書に寄稿した今道友信の文章などにより、初めて母堂が女子学院院長を20年もつとめた山本つちであると知って、生前に詳しくお話をうかがいたかったと後悔しきり。

岡田正人(工作舎カメラマン&ドライバー; 2006 年3月19日没):第I期『ライプニッツ著作集』の全巻セットの撮影はじめ、2000年3月25日の「日本翻訳出版文化賞受賞記念パーティ」の記録写真撮影や重鎮の送迎など。

彌永昌吉(第I期創刊パンフレット、発見術への栞10寄稿; 2006年6月1日没):『数の直観にはじまる』(1977)を監修いただいて以来、雑誌『遊』のおりおりの企画などにも協力を仰ぐ。

阿部謹也(発見術への栞3寄稿; 2006年9月4日没):ライプニッツの歴史学の紹介を期待されていたので、第II期第2巻をご覧いただけなかったのが残念。

原亨吉(第I期監修、2・3『数学』翻訳; 2012年3月20日没):数学論文の翻訳やチェックを進めながら、アリアンス・フランセーズ大阪の理事長として、パーティのワイン選びまでされていたお姿が印象的。

永井博(発見術への栞4寄稿; 2012年11月7日没):ライプニッツの生命哲学の可能性を示唆。

門脇卓爾(発見術への栞3寄稿; 2012年12月28日没):盟友ハイネカンプを紹介くださり、創刊パンフレットへの寄稿が実現。

長谷川憲一(第I期本文印刷; 2013年10月26日没):第I期『ライプニッツ著作集』のために、「活字清打方式」という活版の味わいのあるオフセット印刷を考案。著書に『ヘルボックス:印刷の現場から』(影書房 2008)。

アンヌ=マリー・クリスタン(発見術への栞7寄稿; 2014年7月20日没):漢字や浮世絵の造詣も深いパリ第七大学エクリチュール研究センターのディレクター。

木田元(発見術への栞5寄稿; 2014年8月16日没): 栞の原稿を手渡すさいに(1991) 、愛弟子・橋本由美子への期待を語る。

小林道夫(第I期10「普遍学」翻訳; 2015年6月2日没):『デカルトさんとパスカルくん』(竹田篤司ほか訳)に収載したジュヌヴィエーヴ・ロディス=レヴィスの付論を仲介。

アンドレ・ロビネ(発見術への栞8寄稿; 2016年10月13日没):谷川多佳子の仲介で執筆、福島清紀が翻訳。

福島清紀(第I期4・5『人間知性新論』第II期2『ボシュエとの往復書簡』翻訳;  2016年11月18日没):第2巻上梓直後の急逝には呆然とするばかり。奥田太郎ら刊行委員会により『寛容とは何か』を今春刊行できたのが、せめてもの慰め。

橋本由美子(第II期1「サロン文化圏」翻訳; 2017年4月17日没):「サロン文化圏」の訳文に気品をもたらす。『形而上学叙説 ライプニッツ-アルノーの往復書簡』(平凡社ライブラリー 2013)監訳など。

井野〔高木〕くに子(工作舎総務・経理; 2018年6月17日没):出版活動が持続できるように奮闘・サポートするも第II期の完結を見届けずに急逝。このような形で「弁神論」的な問いと向き合うことになろうとは……。

(十川治江)


山本信先生(1924 – 2005)
山本信先生(1924 – 2005)
「日本翻訳出版文化賞受賞記念パーティ」にて(撮影:岡田正人2000.3.25)





ALL RIGHTS RESERVED. © 工作舎 kousakusha