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ルネサンス・バロックのブックガイド

第14回
『ピカトリクス 中世星辰魔術集成

◉大橋喜之=訳 八坂書房・2017年・748頁


『ピカトリクス』

「ピカトリクス」 Picatrix とは何か、あるいは誰のことだろう。フランスの文人ラブレー(François Rabelais, 1483/94-1553)が「尊い師父ディアブル・ピカトリス、悪魔学部読師」と称して以降、それは中世に魔術書を編んだ悪鬼的な賢者の名とされ、その編纂書の表題ともされてきた。20世紀まで刊行されたこともなく、写本を手にできた者も僅か、そんな名の魔術書があるらしいという風聞として。

1256年にアラビア語からカスティリア語、さらにラテン語に訳されたものの序に「賢者にして哲学者、高貴にして尊いピカトリクス[…]本書を編纂した人の名を冠して、この書の表題とする」と明記されているが、史上の人物名として特定されている訳ではない。

中世最大の魔術書とされる本書の構成は、歴史家M・プレスナーに指摘されているとおり、「章立ての散漫さ」の背後に「思いのほか深い」目的を秘匿しており、「魔術的な記述に嫌疑がかからないように理論的な記述に編み込んだり、ある種の教説の奇異さを減じるために混ぜ込んでみたり、魔術と哲学(自然学)の有効性を同等に論じたり、これら三つの理由が混ぜ合わせられたりしている」。

ここで魔術とはマクロコスモスとミクロコスモスをつなぐ手段であり、永劫の天界とつかの間の地界の照応を保証するのが能動知性の働きとされ、それを駆動する道具として護符がつくられる。つまり魔術とは人間の営為に隠された意味の探求に他ならない。星辰の配置は祈願内容との照応を示し、護符をつくるための時宜を定める。とはいえそこに挟み込まれる占星術の手法は根本原理から説き起こされず、それを探ることは困難。ここに蒐集された当時のさまざまな流儀から何が見えてくるのかについては専門家の綜合的な解釈をまちたい。

一方、ヘルメス譚として説かれる知の探求にかかわる寓意は、叡知の書を探す旅のものがたりとして錬金術の文書群にも通底する。神々の聖域に秘匿されてきた『宝の宝』、知識の宝庫、遥かな記憶を探るものがたり。ひょっとすると星辰の円環運動に対して、地上で目的へと邁進する魔術的な直線運動の比喩なのかもしれない。わたしたちはこの円と直線の接点、聖域を求めて夢想に耽る。天界の運動を世界霊魂(アニマ・ムンディ)と観念した時代の人々の思惟は、見知らぬ眩暈(めまい)をもたらしてくれるだろう。

(大橋喜之)


[目次より]
参考図版
第一書 序論
第二書 天の形象一般と第八天の働き
第三書 諸惑星と諸星座の性質、降霊術
第四書 諸霊と諸図像
付録『ピカトリクス』を読むために


『ピカトリクス』の図版


[執筆者プロフィール]
大橋喜之(おおはし・よしゆき): 翻訳家。ローマ在住。おもな訳書に、本書『ピカトリクス』をはじめ、リーヴス『中世における預言とその影響』、カルターリ『西欧古代神話図像大鑑』(すべて八坂書房)などがある。ブログ『ヘルモゲネスを探して』を主宰。




◉占星術、錬金術、魔術が興隆し、近代科学・哲学が胎動したルネサンス・バロック時代。その知のコスモスを紹介する『ルネサンス・バロックのブックガイド(仮)』の刊行に先立ち、一部を連載にて紹介します。




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