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対抗モニュメント

ティツィアーノのためのモニュメントは、カノーヴァ没後の1838年、フラーリ聖堂を訪問したオーストリア皇帝フェルディナンド一世(在位1835〜48)の提唱で、ルイージ・ザンドメネギが息子ピエトロの協力を得て1843年と1852年のあいだに制作し、カノーヴァ・モニュメントの向かいに設置された。

このモニュメントはカノーヴァが考案した当初のデザインとはまったく異なり、凱旋門型の枠組によってまとめられている。中央アーチの下で、ティツィアーノが自然と科学の寓意像を従え、《聖母の昇天》の浮彫コピーを背に玉座についている。《聖母の昇天》はフラーリ聖堂の主祭壇の祭壇画で、ティツィアーノの代表作である。それは当時、ヴェネツィア美術アカデミアに置かれていた。


ルイージ/ピエトロ・ザンドメネギ《ティツィアーノ・モニュメント》
ルイージ/ピエトロ・ザンドメネギ《ティツィアーノ・モニュメント》
1843〜51 ヴェネツィア、フラーリ聖堂.
[© Didier Descouens CC BY-SA 4.0 from Wikimedia Commons]

ルイージ/ピエトロ・ザンドメネギ《ティツィアーノ・モニュメント》部分 ティツィアーノ《聖母の昇天》
(左)《ティツィアーノ・モニュメント》部分、
(右)ティツィアーノ《聖母の昇天》
1516〜18 ヴェネツィア、フラーリ聖堂.

ティツィアーノ・モニュメントの左手には彫刻(外側)と絵画(内側)、右手には素描(内側)と彫刻(外側)の寓意像が立っている。そして、台座には、ティツィアーノが活躍した16世紀(左)とモニュメントの建てられた19世紀(右)の寓意像が腰かけている。さらに、《聖母の昇天》に加えて、ティツィアーノの四作品の浮彫コピーが配されている。アーチ奥の《ヴェローナのペトルスの殉教》(左)と《聖ラウレンティウスの殉教》(右)、上方手前のスパンドレルの《ピエタ》と《エリザベツ訪問》(右)である。

フラーリ聖堂内で向きあって建つ二つのモニュメントが記念するのは、ヴェネツィア最大の画家ティツィアーノと彫刻家カノーヴァにほかならない。両者とも墓廟モニュメントである。しかも、カノーヴァが当初ティツィアーノ・モニュメントとして考案したが、実現しなかったデザインが、カノーヴァ自身のためのモニュメントに使われている。加えて、両モニュメントにおいて、記念される美術家の作品がモニュメントの中心モティーフになっている。そして、ティツィアーノ・モニュメント中央の《聖母の昇天》は、カノーヴァがフランスから奪回した最も重要な作品でもある。

この二つのモニュメントはさらに何重もの関係を結んでいる。ともにカノーヴァの弟子によって、相前後して制作され、ルイージ・ザンドメネギは両方に携わっている。注文主に関しても接点がある。すでに述べたように、カノーヴァがティツィアーノ・モニュメントのために準備したピラミッド型のデザインは、マリア・クリスティーナのためのモニュメントとして実現した。マリア・クリスティーナは、ティツィアーノ・モニュメントの注文主オーストリア皇帝フェルディナンド一世の大叔母にあたる。

このように、同一の聖堂内に向きあって建つ、ヴェネツィア最大の画家と彫刻家の墓廟モニュメントは、デザインに関しても、制作者、注文主についても、複雑かつ深遠に呼応しあう〈対抗モニュメント〉になっている。




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